水と自分〜雨の音を聴きながら〜

眠れぬ夜に、真っ暗な部屋で、ある回想を広げていた。

 

ぼくは大学1年生の時、当時所属していたサークルで、自分の考えていることを何でもいいから発表してもいいという機会に巡り合った。

いましていた回想とは、この時に自分が発表したことについてである。

 

この時に自分は「じゃあ、発表させてもらいます。」と席を立ち上がり、自分の話をした。

 

お題は『ぼくは、水になりたい。』というものであった。

 

この時、聴講者の反応は「なんかちょっとヤバイこと話し始めたぞ」という感じで、ぼくが何を言おうとしているのか興味を持ってもらい、質問を頂きながらわりと長い時間発表させてもらったことを覚えている。

意味不明と投げ出されることはなく、むしろ何とか理解しようと努めてくれるような人たちで嬉しかった。というか、ぼくという人間に純粋に興味をもってくれていたんだと思う。

 

確か、持ち時間がもともと10分くらいのところ、1時間以上は話していたんじゃないか。

途中で「長すぎる。というか終わらんぞこの話。」ということになり打ち切りにはなったが。

 

この『水になりたい。』という、ぼくのある種の信念はその後も貫かれることになる。

 

何よりまず、ぼくにとって水という存在が堪らなく愛おしい。

晴れの日より雨の日が好きなのは当然のことながら、天気は嵐になればなるほど鼓動は高鳴り、テンションはハイになっていく。

どしゃ降りほど、風が荒れ狂うほど、気分が高揚してくる。

 

天気が嵐だとわかれば、すぐさま濡れていい服装に着替え、嵐の中にわくわくしながら突入してゆき、気が済むまでひたすら雨に浸されている。

普段の生活の中でテンションが上がることはそうないのだが、時々くる嵐の日は「よし来た!」と言わんばかりにテンションが爆上がりする。とまあ、こんな調子である。

 

人に「なぜ、雨に濡れるのがそんなに好きなの」と聞かれたら、

ぼくは「雨に濡れていると、人であることへの自意識が溶けていって、人であることをすっかり忘れられるから。その時間が好きなんだよね。」と答えていた。

 

よく人にこう言っていた。

『ぼくは自分が人であることを何だか窮屈に感じている』と。

 

ところが、大学3年生頃に少し心境に変化が生じる。

ぼくは自分にこう問いかけた。

「自分は人であると言えるか。自分は男であると言えるか。」と。

 

問いを発してからわずか3秒後、結論は出ていた。

「否。そんなことは言えない」と。

 

ぼくは気づいた。

自分が人であると思っているのは、単なる思い込みにすぎないということに。

ほんとうは、自分の存在は、人でもあり、水でもありうると。

水に"なれる"という気づきが、全身を閃光の如く貫いた。

 

ぼくが人であることに窮屈さを感じていたのは、自分で自分にその窮屈な鎖をかけていたからに他ならない。

ぼくは、初めから自由だった。気づいてしまった、

「水になりたい。」という以前に、ぼくはすでに『水でもありうる。」という事実に。

 

雨に濡れている時、ぼくは本当に水に"なっている"のだ。

人という枷は初めからありはしない。

もしあるとすれば、それは自分で作っているということ。つまりは幻想だ。

 

同様に、自分は男であると言うことはできなくて、

正しくは、「自分は必ずしも男であるとは限らない」がほんとのように思う。

己の存在自体は、男性も女性も両性を兼ね備えているから。

自分は男であると言うことは、存在の女性的な側面を見ないように蓋をしているだけのことで、意識する側によって男にも女にもなりうる。

 

生きものというのはなんて不思議で面白いのだろうと、大変感心した思い出がある。

学校で教わっていた、いや押し付けられていた、人らしさだの男らしさだの、くだらないものをひょいと降ろしたとき、世の神秘さに心底から惚れ惚れとする瞬間がやってくる。

 

水になりたきゃなればいい。自分の存在に内在する水の質を呼び起こしてくればいい。

女になりたきゃなればいい。自分の存在に内在する女性の質を呼び醒ましてくればいい。

木にだって、雲にだって、石にだって、なればいいさ。

 

「なれっこない」というブロックを握りしめるのをやめて、自分が作った檻から出てきて自由になればいい。初めから自由だった。ずっと、自由だった。気づく、強烈に。

 

そうすると、周りの物事への味方がぜーんぶひっくり返る。

木は木だと決めつけてはいなかったか?

男とは男、女は女だと、それしか見てはいなかったか?

"その人の存在自身"を見ようとしてきたか?

あれは水であって人ではないとか、ぼくは人であって水ではないとか、そういうくだらない思考が紛れ込むと、物事をありのままにはみれなくなるのではないか?

 

そういう自己反省を経て、いまの自分がある。

自分をみることは他人をみることであり、他人をみることもまた自分をみること。

自分をありのままに観ることができなければ、どうして他人のことをありのままに観ることができようか。

ぼくたちは、何者でもなく、すでに"何者でもある"ということに、ハッキリと、気づき自覚することが、物事の見方を根本から反転させる。

 

ぼくはやっぱり今でも、水になりたいと思う。

水が好きだ。ちょうどいま、雨も降っている。

今日もまた、傘をささずお出かけしようか。

水に、なってこようか。水に、なれるんだ。

 

おっと、身体は置いていかないように。忘れものはないかな。

自分が人であると縛られているうちは、身体のこともわからないもの。

視点が反転して、目が瞠いて初めて、身体にも向き合えると思う。

 

人間の素晴らしいところは、"人でありながらも水でもありうる"ことができる点にある。

つまり、存在の多重性を意識的に実現できる。

これこそ、身体あってこそできる芸ではなかろうか。

 

水になっても、何も人の質を捨てることはない。

全ては両立する。それだけ存在はそれ自身で深い。

限りの無い深みと豊かさを持っている。

 

だから、水になれる。己の水の質を想起し、これを立たせうる。

人間は、おもしろい。いやはや、感嘆に浸るばかりである。

 

雨の音を聴きながら、そんなことを考えていた。

これは、ある水が好きな一人の人間の、泡ぶくのようなエッセイである。

ぶくぶくと、泡のように、

読んだ人のこころのなかで、楽しく弾け飛んで欲しいなと、

そう思いながら、ここで筆をおくことにする。

じゃ、またね。

数学と自分.その②

今回は前作(https://gmaphy.hatenablog.com/entry/2020/06/09/202318)の続編であって、ぼくが書きたいことを、書きたいままに、ただ書いているものである。

 

このブログは、言わば川へ流す草船のようなものである。

小さい頃に、雑草をちぎってこれを船のような気持ちで、「それいけー」と川へ流して遊ぶのが好きだった。

ブログを書きながら、こんな幼少期の情景が想起されるのである。懐かしい。

本作も、時間的存在としての自分の"流れ"に、「それいけー」と流してゆきたい。

それがどこに行くのかは、わからない。なんでもいいカナ。

 

さて、今回は、

・数学の何がそんなに面白いの?

への"今のぼくが思うこと"と、

・数学の先生になろうとは思わなかったの?

について思うことを書いていきたい。

 

まず最初に書いておきたい事がある。

ぼくは勉強(いわゆる"学校の"勉強)が好きかと言うと、全然そういうわけでは、ない。

たとえ数学であっても、である。

ぼくは高校生の時に、「師匠と交わす数学」と「勉強としての数学」を意識的に区別していた。これらは異なる質を持っていた。全くの別物である。

学校の定期試験の勉強などは一切しなかった。

受験勉強はというと、師匠から「自分の道を歩むには、乗り越えてゆかねばならないものがあるのだ。受験勉強が終われば、存分にお前の好きなやりたい数学を自由にやるがいい。」と説得され、2ヶ月間だけ、「この2ヶ月だけでぜったいに終わらしたる」と意気込んで、この期間だけは寝食を惜しんでやり、ササッと済ませた。

受験勉強ですら、しぶしぶと「仕方がないなあ…」という調子であったので、高校の先生方にはだいぶ困らせていたと思う。ただAO入試だったので12月には終わっていた。受験は文字どうり数学一本でぶち通した。その年の12月の誕生日は穏やかであったなあ。

 

そんなわけで、

『たとえ数学であっても、勉強としての数学は所詮つまらない。』という感覚を、数学をやり始めたくらいから強く、お持っている。

 

一方で、ぼくが親しんできた"勉強とは異質の数学"が存在している。

その最初の芽生えが、師匠と交わす数学であったのである。

この違いはどこからくるのか。

これは例えば、人間と人形の違いとよく似ている。

どちらも人ではあるが、内に流れている質が異なっているでしょう。

人形の魂は枯れていて、人間の魂は生きて躍動している。

やはり人形の人とは関わっていてつまらなく、人間の人には心底惹かれる。

人間同士はこころが通う。こころ通うところに、生きる喜びが生まれる。

 

数学でもそうなのですね。

ぼくは岡潔先生の『数学は生きものです。』という言葉を大のお気に入りにしている。

心惹かれる数学というのは、生き生きとしていて、瑞々しい。

意思も感情も持っていて、生命の力づよさとしなやかさを兼ね備えている。

師匠と交わしていた数学は、まさに生きもののそれであった。

 

これはもう、数学を学ぶという行為からはみ出している。

つまり、何も数学に限定した話ではなくなってくる。

数式を自在に操る事は、食事でいう箸の使い方を覚えるようなもので、だから大切な事は、その先、もっと奥にある。

ちなみにぼくは箸があまりうまく使えません。それでも、箸の使い方が上手い人と「食事を味わう」という点で劣るものがあるかというと、そんな事はぜんぜんないわけで。

気にしてないわけです。だから、数学でも、勉強ができなくても大して気にすることはない。数学を通した営みを『味わう』ことは誰にでも平等に開かれていて自由であると。ぼくはそう思っているわけです。

美味しいご飯を食べると感動するでしょう。

生きもの同士で感情が通うから、感動する。

こころがぱぁ〜と柔らかくなって開いてくる。お湯に浸かったお茶っ葉のように。

数学の営みを通して起こる感動も、同じ感覚なのです。

人間同士でも、人間と数学でも、生きもの同士で一緒のこと。

 

師匠もよく言っていた。

「数学は、頭が良い人だろうがそうでない人であろうが、誰にでも開かれているんだ!」と。「人は裏切ることがあっても、数学は裏切ることがない。」とも。

師匠は数学を心から信じていた。ぼくはその師匠を信じ、師匠の信じる数学をぼくも信じ、ここまでやってきた。

 

数学の問題は言わばごはんのようなもので、もちろん美味しいもの、まずいもの、好むのもの、苦手なものと色々ある。

これは本来、一人ひとりにあるはずのこと。みんな個性がある。

ところが、勉強となると途端にこれを無視して、なんでもかんでも早く多く食べればいいと勘違いして、宿題をいっぱいテンコ盛りに出したりするでしょう。そんで「はい、食べなさい!」とするでしょう。これはいくらなんでもおかしい。子供達が本当に気の毒である。

 

少し脱線するが、小学3年生の時に、給食で出た苦手なプリン(のようなもの)を無理やり食べさせられたことがあった。食べないと先生はカンカンに怒っていたので無理やり口に含んで飲み込んだ。その日からあのプリンのような意味不明な食べ物は大嫌いになった。トラウマ的とも言える事件であった。こういうのは根強く自分の中に残る。

 

こういう経験があるので、「数学は嫌いです。」という人の気持ちに、実はずいぶん共感するところがある。この数学を嫌いになってしまった人もきっと、数学の問題を、ぼくのあのプリンと同じように無理やり詰め込まれたのだろうか、と思う。

あの、いや〜な感覚はよくわかるし、残ってる。

そんなことで食事は楽しくなりますか。数学は楽しくなりますか。

いいえ、そんなことはありませんね。

 

数学の楽しさを語ることと、食事の楽しさを語ることは、本質は同じだと思う。

舌がべろなのか、大脳前頭葉なのか、その違いこそあれども。

つまり、ぼくは師匠とどのように数学をやっていたのかというと、ちょうど一緒にご飯を楽しくゆっくり食べるようにやっていたのである。

「せかせか食べたい人はよそでやってください。」という気持ちで、勉強としての数学とは一線を引いていた。師匠と交わす数学の営みはずっとゆっくりだった。

 

たった一つの数学の問題を消化するのに、丸一日かけることは当たり前で、時には一週間、時には一ヶ月かけることだって珍しくなかった。

手紙のようなペースでゆっくりと。メールのようにせかせかはしなかった。

 

数学が得意になること、食事で箸をうまく使えるようになること。いいでしょう。もちろんこれらが大事ではないとは、言わないけれど。

けれど。そこにこだわっていては、味わう楽しさはやってこないと思う。

 

一番いいのは、誰かと一緒にゆっくり味わい、喜びを分かち合うこと。

数学でも、食事でも、瞑想でも。なんでもそうだと思う。

ぼくはそう思い、そう確信し、人生を生きている。

 

ぼくは、美味しいプリンを食べるまで、プリンはまずい食べ物だと思い込んでいた。

友達と一緒に食べたプリンに感動した時、プリンって美味しいと思った。

また、次のようなこともある。

昔はお酒なんておいしいとはとても思わなかったが、今はおいしいと感じる。

大学に来てから飲んだ日本酒が絶句するほどうまくて感動した。日本酒最高である。

つまりは、昔は嫌いだったり苦手だったりしたものも、では一生ずっとそうかというと、案外そういうわけではないということが多い。

からだもこころも、変化していく。生命は無常である。

 

だから、数学が嫌いという人とも数学の味わいを分かち合える可能性は、常に開かれている。

これは幸運なことだと思う。

では数学の先生になったらいいではないか、と思う人もいるかと思うが、ぼくはそうしなかった。

別の道を選んだ。

これについて書いてみたい。

 

先に書いたように、ぼくは日本酒が大好きな人である。

しかし、ビールは全く好みでなくほとんど飲まない。

どちらも酒ではあるが、日本酒は(その名の通り)米からくる東洋的な質を持っていて、ビールは麦からくる西洋的な質を持っていて、これらは異なる質を持っている。

 

ぼくが言いたいのは、今現在で数学と呼ばれているものはビールのようなものだということである。

もし世界中で酒がビールばかりで日本酒が撲滅していたら、ぼくは酒のうまさにたどり着けなかったかもしれない。

もちろん、今までの話の流れから、ビールのうまさに目覚める可能性もあるが。

ビールもあって、日本酒もあって、お酒に『多様性』があってこそ、多くの人がお酒を楽しみ味わうことができる。

 

しかし、今の数学にこのような多様性は感じられないのである。

大学の数学科にきて、数学のビールのような傾向はますます高まるばかりであった。

今の数学界はまるでビールの生産工場によって埋め尽くされているかのように、ぼくには感じられた。

段々とぼくは今の数学に嫌気が刺すようになっていった。

ふと振り返ってみると、中学生から習う数学にも、程度の差こそあれど、このような傾向は少なからずあると、ぼくの調べでわかった。

つまりぼくは、まずは数学に『多様性』を宿したいと思っているわけなのである。

もっとはっきりと言おう。

 

『ビールのような数学だけではなく、日本酒のような数学が創造できないか。』

 

これが、今ぼくが取り組んでいるテーマである。

 

それ故に、ぼくとしては、まだ数学を分かち合う"以前"の問題だと感じている。

日本酒のような数学が拓けて初めて、よりたくさんの人と数学の味わいを共にすることができると、ぼくは考えている。

もしお酒を楽しむのに、ビールしか選択肢がなかったら、なんだか寂しい感じがする。

 

だから、"今はまだ"、ぼくは数学の先生になろうとは思わない。

でもこれから、

ぼくが師匠と数学の味わいを分かち合ったように、

家族や友達と食事の味わいを分かち合ったように、

色んな人と生きる喜びを分かち合っていく人でありたいと思う。

 

そして、

ぼくがビールが苦手でも日本酒の感動に出会ったように、

今の数学が苦手でも大丈夫な、

そんな"日本酒のような数学"をたとえ一人にでも人生の中で届けることができて、

数学の味わいと感動を分かち合うことができたら、

とても嬉しいことだと思う。

 

そんな人生を歩いてゆきたい。

。。。 。。。

 

また気が向いたら何か書こうかな。

次は岡潔先生をピックアップしようか。

それじゃあ今回はここまで。

ではまた。

数学と自分.その①

自分は大学の数学科に進学し、今も籍を置いている者である。

そしてもうあと一年も経たず、大学を出る予定である。

 

今までいくつかよく受けた質問があった。例えば、

・数学の何がそんなに面白いの?

・どうして数学やってるの?

・いつから数学が好きなの?

・数学の先生にはなろうと思わなかったの?

などはよく聞かれてきたかなあという印象がある。

 

ぼくは常に、考えを固定などしていない為、毎回聞かれる度に、質問をくれる人によって、あれやこれや「うーん」と考えてはいつも違うことを言っていると思う。

ただ、同じ内容のことを表現を変えて話したり書いたりすることはよくある。

これは小学生の時に学校の日記で先生にこの癖を指摘されてからずっとそう。

たぶん、"ちゃんと伝わっている"という実感が持ちにくいから、頑張って伝えようとして同じことを何度も言葉を変えて繰り返しているのだろう。

そういえば、小学生の時に、少しをしこしと書いていた。

先生の「少しの事かな?」というコメントが思い出す度に微笑ましい。

 

はい、すぐ脱線した。話の筋を戻す。

なぜ自分が数学というものを選んだのか、これは人に聞かれて初めて考えた。

「数学の何がそんなに面白いの?」とは、高校生の時に同級生からある日いきなり聞かれた事であった。

確か、「え、、、わからない。考えたことがなかった。」と答えた気がする。

その質問を受けて初めて、数学を、好きだからとか面白いからとか、そんな理由で全くやっていないことを自覚した。これはまあまあ衝撃的な事件であった。

 

「ではなぜ、自分は数学をやっているのか。」

 

その問いが、その日からずっと今になっても向き合わざるを得ない友問となった。

 

ここで、自分が数学をするに至った経緯を書いてみる。

きっと誰も興味ないであろうが、私的に書いてみたくなった。

 

さて、小学生の時を思い出すと、算数は好きだった気がする。

九九を覚えるミニゲームや、足し引き掛け割りの計算題が大量に載ったプリントを学年みんなが一斉に早解きする大会があったりして、なぜかそれには随分燃えていた思い出がある。

同級生の顔は誰も思い出せないが、割り算の筆算が大変だったことはよく覚えている。

しかし計算に熱を出していたのは小学生の時だけで、ぼくの生涯の計算力のピークは間違いなく小学生である。今はあんまり得意じゃない。むしろ苦手。

数学科なんだから暗算できるでしょと思ったら大間違いである。こういうのは個人差がある。

 

ここまでは計算で遊んでいただけ。純粋に楽しかったのだろう。

中学生に上がると、因数分解とかやり出したので、数は文字x,yとかになった。

でもまあ計算問題には変わりなかったので小学生のノリで同じようによく解けて、数学の先生には褒められていたと思う。このあたりは周りもよく解けていた頃だが、周りをあんまり見ずに行動することが多かったぼく少年は、「自分は数学がわりと得意かも」とは思い込んでいた。その後も特に勉強に支障はなく中3にまで上がった。

この頃は勉強より吹奏楽部でトランペットを鳴らすのに没頭していたと思う。

ただ純粋なトランペット大好き少年であったが、部活には引退という制度があり、中3秋頃に追い出されてしまったような気分だった。

ここで転機がくる。

一つは、部活がなくなって暇になったこと。

もう一つは、それまで仲良かった友人の態度が突然冷たくなり、その後も嫌がらせを受けるようになったことである。

卒業までの中学最後の半年間は地獄であった。

先生にも親にも、特に相談はしなかった。

あと半年間の我慢だと歯を食いしばっていた。

寝ている時にストレスで歯ぎしりはしていたらしい。

この地獄が幸か不幸か、ぼくを数学へと導く引き金の一つになった。

 

その当時、幾何の証明問題が好きでよく解いていた。

パッと見ではわからない相似な三角形を見つけるのが好きで、「見つけた!わかったぞ!」とやっていた。

友人からの態度急変により人間不信になり、数学は一人でやっていた。少し通っていた塾で大量の問題をゲットし、それを学校で誰とも話さず一日中解き続ける日々を半年間続けた。

暇だったこともあって数学しかやることがない、という感じであった。

虚無感に満ちていた。ぼーっとしていた事が多いと思う。

他の授業もあまり聞かず、休み時間も関係なく問題解き、それほどよく没頭していた。

これは言わば、地獄の学校生活からの精一杯の逃避であった。

半年間の現実逃避。ほぼ記憶がない。ただしんどかった。

初めて、人が怖いと思った。うまく人と喋れなくなった。数式だけは書けた。

当時の自分はと言えば、数学の他に「行為の意味」という詩集をよく読んでいたくらいしか思い出せない。ぼくが詩を好きなのはこの詩集をずいぶんと気に入ったからが大きい。

 

そんでなんとか中学は乗り越え、とある男子校にいくことになった。

行きたい高校もなかったため、父が紹介してくれたところで「ここでいいや」と勘で選んだ。

通学は電車だった。

男子校を選んだのはぼくとしてはよかった。よく面倒見てもらったと思う。

やんちゃな人、もの静かな人、部活を頑張ってる人、いろんな人がいて面白かった。

雑多な、雑草魂みたいな、キレイすぎない環境は、自由でカチッとしてなくて、「いろんな人がいるよね」と認め合える雰囲気でよかった。

なにせ人とうまく喋れない状態で高校にいった為、最初が一番しんどかったが、学校の空気は悪くなかった。

友人関係も3年間を通して大してうまくはやれなかったとおもう。

木や石に話しかけるようになったのもこの頃あたりだろうか。

 

ところが、高校で大きな大きな転機の出会いがあった。

T先生という数学教師と出会った。

入学して間も無く、人間不信だったぼくは、当時唯一心から信頼できる人に出会った。

ぼくはT先生を完全に信頼していた。

「この人は大丈夫だ。」と自然に思える先生だった。

T先生の授業はやはり素晴らしかった事と、朗らかで誠実な人柄に惹かれたように思う。

そして、数学にどこまでも誠実に向き合っている姿に、惚れ惚れした。

 

ぼくはもしT先生に出会っていなかったら、数学を続けていないと、はっきり断言できる先生(および師匠)である。それどころか廃人になっていたのでは、とさえ思う。

それ故に、T先生を数学の先生を超えて『人生の師匠』と思っている。

ぼくはうまく喋れなかったから、数学の自分で解いた問題を手紙のようにT先生の元にほぼ毎日持って行った。

ぼくとT先生は数式で語り合い、それがお互いに嬉しかったように思う。

数学が別に好きだったわけでも、面白かったわけでも、特にずば抜けて得意だったわけでもない。数学のテストも一番とかではなかった。(試験勉強を一切しなかったし。)

ただ、T師匠と数式で語り合う事だけ、それだけを喜びとし、数学をやっていた。

高校の同級生には、ただ一人だけ物理好きなやつがいて、彼だけと交友があった。

ブラックホールだとか量子力学だとか二人で議論するのは楽しかった。

ぼくが数学のところを勉強し、彼が物理のところを勉強し、互いに教え合う。

段々と人と話せるようにもなったし、人間不信も和らいだ。これは幸いだった。

 

T師匠には高校時代はよっぽど褒めてもらえなかった。

3回だけ褒めてもらったと記憶している。

その一回目が、数学に本当にハマったきっかけだった。

T先生が挑戦問題として出した難問を、ぼくは一週間かけて解いて行った。

これがずいぶんと褒めてもらい、その時はまだ交流も少なかったけど、T先生は答案をみるなりぼくの手をとり、ぶんぶんと腕を振って、「お前やるじゃないか。いいぞ。あとでゆっくりみたいから持って来なさい。」と言ってもらえた。

これはずいぶんと自信になった。同時に、この人からたくさん学びたいと決めた。

つまり、ぼくが数学をやり始めたきっかけは、

 

『T先生を人間として絶対的に尊敬し、信頼したこと』に尽きる。

 

T先生の授業は美しかった。教師というより芸術家という方がしっくりくる。

そして、ぼくはT先生に褒めてもらいたかった。

褒めてもらった残りの2回は、高2の時に数理の翼という合宿型の数理科学セミナーへの参加選考に通った時と、大学受験を無事に通った時だ。

もともと行きたい大学(Minerva大学)は海外にあって数学を専攻しようとは特に思っていなかったが、今となっては自分の選択を全く悔いてはいない。

大学に来てから人間不信も今では解消できている。ありがたい。

たくさんの良いご縁に恵まれていると感じる。本当に、本当に。

数学専攻にしたのは、T先生をこれほど惹きつける数学という学問が一体どれほどのものなのか、自分の肌感でよく知りたかったという理由が大きい。

実は岡潔先生(1901-1978)という日本の大数学者のエッセイとの出会いと、数学ガールという小説との出会いも非常に大きいのだが、一気には書ききれない。

 

これで、数学をやり始めたきっかけと、いつからやってるのかくらいは書けた気がする。

書いてみると、思っていたより書く事がある。

最初に列挙した質問は一つひとつがわりと重めに思う。

今度気が向いたら、

・数学の何がそんなに面白いの?

の"今のぼくが思うこと"、と、

・数学の先生にはなろうと思わなかったの?

 について書いてみたい。

あと岡潔先生についても。

今回はここまで。

ではまた。

微笑む階段

一人ひとりに階段がある。

 

どこから始まったのか、どこが終わりなのか、誰も知らない。

 

ある人は言った。この階段はそれぞれが一つの大きな天の国へと繋がっていると。

 

ぼくたちは今日も誰からか与えられたこの階段を登りつづける。

 

ずっと、ずっと、百年も二百年もそれよりずっと、ずっと。

 

時には立ち止まりたくもなるかもしれない。

 

そんな時、この階段は不思議なことに、話しかけてくるのだ。

 

「どうしたんだい?ちょっと話してみなさいな」と。

 

階段はただ聴いている。ぼくたちが足を止めたくなる怠惰を、言い訳を、情けを。

 

階段は微笑んでいる。こちらがズンとして話している時も、階段はいつも笑っている。

 

階段は、励ましもせづ、頑張れとも言わず、「うん、うん。そうかい、そうかい」とただ聴いている。ただただ、聴いている。

 

ぼくたちはある程度、怠惰と言い訳と情けを吐き出すだけ吐き出して、ぜえぜえと吐息を漏らしていた。

 

階段は変わらず微笑んでいる。

 

そしてふと、ぼくたちは、自分の胸の内側が空っぽになっていることに気がつく。

 

その瞬間、間髪入れづ階段が言う。「さあ、お立ちなさい。そして、お行きなさい。」と。

 

そしてぼくたちは、自分が座り込んでいたことにこの時初めて気づく。

 

再び立つ力を振り絞ると、不思議と足がまた進み始める。

 

普段はこの階段は足元に居て、歩いているときには気づきにくい。

 

けれど、つい足を止めたくなってしゃがむと、そこには微笑む階段がいる。

 

自分が階段を歩いていることに気がつく。

 

どこを歩いているのか、なぜ歩いているのかにも気がつく。

 

「立ち止まるのも、絶望も、案外悪くないだろう?」と階段は言っていた。

 

足元にじっと居る階段がどこに続くのかも、ぼくたちは、本当は知っている。

 

ずっと知っている。いや、知っていたんだ。

め、はひろい。

 

目、芽、愛。

 

たくさんの"め"がある。

 

めをひらく、という。

 

目を開く

 

芽を拓く

 

愛を啓く

 

それらはバラバラにあるわけではない。

 

すべて、同じことを言っている。

 

目は、芽であり、愛である。

 

"め"は、大切にたいせつに育ててゆかねばならない。

 

己の"内"へ、それは育つ。

 

外へ何かを求めたり、期待してはならない。

 

みえなくなってしまうから。

 

めのまえが真っ暗になっちゃうから。

 

めが"枯れて"しまうから。

 

外は真っ暗だ。

 

"光"は己の内にこそ宿る。

 

あぁ。それは美しい。

 

目を開くと、今まで見落としていたものに気がつく

(あっ!世界はこんなにも美しい!)

 

芽が拓くと、新しい命の息吹が起こる

(ほつほつ)

 

愛が啓くと、生命は大きく育つ

(ほくほく)

 

すこやかに、のびやかに

 

ゆっくりと

 

ささやかな音を立てて

 

 

かさ

いつからだろう

 

かさをさすようになったのは

 

いつからだろう

 

あめにあたる新鮮さ

 

その喜びを忘れてしまったのは

 

どうして。

 

きっと、いつしか奪われていた

 

だれにかは、わからない

 

じゃあ取り戻さなくちゃ

 

え?風邪を引く?それでもいいじゃん。

 

それだけ一歩、あめと仲良くなれたってこと

 

からだは、よろこんでるよ

 

聞こえてますか。

 

いつからだろう

 

あめがふる日を嬉しく思うようになったのは

 

あめにあたることへ喜びを見いだすようになったのは

 

それは、今日からでもいい。

 

耳は閉じるな、澄ませ。

 

“それ”は聴こえてくる

さかな

さかなになろう

 

海へもぐろう

 

いまじぶんのいるところがどこなのか

 

まるっきりわかんなくなるくらい

 

ふかくふかくもぐろう

 

そのうち

 

じぶんがだれなのかもわからなくなってくる

 

まさにそこで、じぶんと出会う

 

先入観、無明、妄想がそぎ落とされ

 

はじめてじぶんがみえてくる

 

地上で過ごしているだけではみえない

 

やわらかな、陰の光

 

陽の光と陰の光

 

互いに表裏一体な光

 

ぼくたちは地上で怠りすぎた

 

たまには、陰の光を思い出してはみないか

 

うみへもぐってはみないか

 

さかなになるくらいまで