むみょう
いまの社会は、あまりにも無明がつよすぎる
和の文化、日本の文化。
それらはたえず、無明を入れるな、と教えてきた
いまの日本の社会には、先人の声が届いているだろうか
そもそもぼくらは、耳をかたむけようとしているだろうか
無明は、心の純粋さを希薄化する
こころを濁す
だからこそ、立ち向かおう。
ただ無明に流されるのではなく
日本の先人の知恵・技を学ぼう
たとえば、座禅。
座禅を通して無明を落とし、心をあらう。
それは、いまからでもできる。
もちろん、続けるのはかんたんではない
だけど、続けるしか道はない。
厳しい道ではあるが、やるだけの価値は十分にある
さあ、はじめようか。
続けること、それはすなはち、向かいあうということだ。
ぼくたちにはできる。
いま、この瞬間からだ。
みらいはいま、この瞬間にあるのだ。